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zoom RSS 西国街道を歩く 芥川宿から〜瀬川宿へ

<<   作成日時 : 2016/02/05 22:31   >>

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 西国街道を歩く旅第三回。今回は高槻市芥川宿の先から箕面市の瀬川宿を目指します。
 大阪の北郊を行く地味な道かと思いきや、歩いていると意外な発見があったりして面白い道中でした。
 なお、前回のレポはこちら


2月5日(金) 晴れ

 午前11時10分、JR摂津富田駅は高槻と茨木の間に挟まれた普通電車しか停まらない駅。しかし、乗降客は意外に多く駅前も活況を呈している。その駅前から北へ、15分ほど歩くと西国街道と交差。道標も何もないが、小さな川が並行して流れているのが目印か。

 西へしばらく歩くと茨木市に入る。藍野大学を過ぎると右手に継体天皇陵。参道の生け垣や松はきれいに剪定されていて、砂利には箒目が入る。片隅には小さいながらも管理事務所があって管理人が常駐しているようだ。流石は天皇陵古墳と言いたいところだが、本当の継体陵は隣の今城塚古墳でほぼ決定らしく、現に茨木市が建てた道標にも継体天皇陵ではなく「太田茶臼山古墳」と記されている。

【継体天皇陵と道標】
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 継体天皇陵を過ぎると展望が開け、左側に広大な空き地がある。いくら郊外とは言え大阪の街中にこんな大きな空き地があるというのはちょっと信じられない。(帰ってから調べてみると東芝の工場の跡地だとか)

 名神高速と交差する手前にお堂があってその前に西国街道の案内板。これによるとこの辺りの西国街道は「山崎道」とも呼ばれていたとか。同じ西国街道でも長岡京あたりでは「唐道」と呼ばれていたそうだから、所変われば呼び名も変わるということか。

 名神の下を潜って北側の細い道へ。この辺りの街道は真っ直ぐな道が多いなあ。幣久良橋のたもとに「白井河原合戦跡」の案内板。これは歩きでないとちょっと発見できない。
 白井河原の戦いとは、要するに荒木村重が摂津地方を支配する端緒となった合戦。元亀二(1571)年8月、この河原が紅い血に染まったと案内板に記されている。

【白井河原説明板と橋からの眺め】
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 アルプラザ茨木を通り過ぎた交差点に、道標と案内板を備えたポケットパークがあった。東海道や中山道ではよくあるが、西国街道沿いではこれが初めてか。
 案内板には戦国大名・中川清秀についての記述がある。中川清秀は茨木城の城主となった武人だが、『へうげもの』古田織部の義兄と言えば馴染深いだろうか。(いや、馴染深くないって)

【中河原ポケットパーク】
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 国道171号線を横切ったところが郡山宿。道の舗装が石畳風になり、宿場の入口につきものの枡形もある。やっと街道歩きらしい雰囲気になって来た。

【郡山宿入口の枡形】
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 郡山宿本陣は国指定史跡。現在も人が住んでいるので、常時公開はやっていない。「椿の本陣」の異名通り、門の内側に大きな椿の木があって花を咲かせていた。

【本陣と椿の木】
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 本陣前から始まったカラー舗装はこの後もずっと続き、結局大阪モノレール豊川駅までそのままだった。東海道の宿場町とかだと、東見附や西見附があって宿の終わりがよくわかるのであるが、どうも西国街道の宿場の規模ははっきりしない。

【モノレール豊川駅】
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 豊川駅を過ぎると道は上り坂に。結構長く続くしっかりとした上り坂で、○○坂とか名前がついていてもおかしくない坂である。
 坂の頂上は分かれ道になっていて、常夜燈・道標・お堂があった。

【坂の頂上】
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 国道171号に近づいた交差点に勝尾寺大鳥居。ここから北へ4kmの地点にある西国二十三番札所勝尾寺の表参道の起点である。寺なのになぜ鳥居なのかとか、難しいことを考えてはいけない。

【勝尾寺大鳥居】
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 さて、時刻は午後1時過ぎ。歩き始めてから約2時間が経過した。ここで休憩を兼ねて昼食を取ることにする。幸い、国道171号沿いには飲食店がいくつもある。
 今回選んだのは河童ラーメン本舗箕面店。大阪を中心にチェーン展開するラーメン店で、もちろん入るのは初めて。

【河童ラーメン本舗】
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 一番オーソドックスな河童ラーメン(720円)を頼む。ここはいわゆる質問の多いラーメン店で、最初に麺の硬さ、スープはあっさりかこってりか、焼き豚はロースかバラかを聞かれる。ふつう、あっさり、ロースをチョイス。
 出されたのはごく普通のとんこつラーメンで、あまり特徴が無い。平日は替え玉無料とのことだが、替え玉があるということは、裏を返せば麺の量が少ないということ。確かにラーメン単体では物足りない感じがした。
 この周辺はラーメンの激戦区で、歩いていて何軒ものラーメン店を目にした。その中でこの河童ラーメンの売りと言えば、やはり普通に美味しいということだろうか。あと、キムチとかの無料メニューが充実しているのがポイントかも知れない。

 街道に戻る。いつの間にか箕面市に入ったみたいで、そう言えばマンホールのデザインが違う。高槻市・茨木市は何の模様かよくわからなかったが、ここ箕面のははっきりしている。箕面の滝と紅葉である。

【箕面市マンホール】
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 ずっと並行して走っていた国道171号にとうとう合流。そのまま国道423号との立体交差を超える。その次の信号を左折するのだが、ここは今回のルートで一番わかりにく所にも関わらず、標識等は一切出ていない。一般に、教育委員会等が建てる道標は、必要のない所にばかり建っていて、肝心の所にはないことが多い。

 次の四つ辻を更に右に曲がって細い道へと入る。すぐにカラー舗装になるのだが、箕面市のはカラー舗装は他とはちょっと違って、両端が石畳風になっている。

 左側に今回のメインスポットの一つ、萱野三平旧邸。ここは大阪府指定史跡の長屋門が残っているほか、箕面市の記念館「涓泉亭」も敷地内にあって無料で見学できる。

【萱野三平旧邸】
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 萱野三平とは、赤穂浪士48番目の義士。松の廊下の刃傷事件を赤穂藩に知らせる使者の役割を担ったが、仇討の前に切腹して果ててしまった。『仮名手本忠臣蔵』の勘平の切腹のモデルになった人でもある。
 興味深いのは彼が俳人としても活躍していた点。赤穂浪士の中には俳諧で有名な人も多かったらしく、元禄の時代にいかに俳諧というのが人口に膾炙していたのかを示す史料となっている。

 街道は再び国道171号に合流。今度は200mほどで向こう側に渡って斜めに入って行く。ちょうどその分かれる所に歩道橋がかかっている。まるで街道歩きの人のためのようで、こういうのは気分がいい。

【歩道橋の上から】
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 この辺りから、両足の裏側が痛くなってきた。実は、冬の歩き用の靴は決まってなくて、今回新しい靴をはいてきたのであるが、それが合わなかったようだ。痛みをこらえて歩いていると余裕がなくなって来る。

 阪急箕面線桜井駅前を通過。道は一段と細くなり、やがて箕面自動車教習所の前に。ここが瀬川宿の本陣跡で案内板もあるのだが、余裕が無くて写真も無い。(笑)

 箕面川を渡る手前で左に曲がると、もう旧街道の面影は無く、街中の普通の道になる。痛む足を引きずりながら、阪急石橋駅着。時刻は午後3時10分。4時間、約15kmの歩き旅は終わった。


 今回は継体天皇陵、郡山本陣、萱野三平旧邸と歴史スポットがあり、単調に見える街道歩きにアクセントを添えてくれました。高槻市、茨木市、箕面市と変わっていく街道の風情も面白かった。靴が合わなかったのは誤算でしたが、次回、西宮まで歩いて一区切りしたいと思います。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
お疲れ様でした。古代の史跡から東芝工場跡地と時間の流れを感じられる旅だったようで何よりです。それにしても靴って大事ですよね。昔、足軽のエキストラしたときに草履が合わずに往生したことがあります。私は甲高幅広の足なので、靴選びは苦労します^^;
武臨
2016/02/07 23:21
 人あるところに歴史あり。街道筋は人間の営みが感じられて面白いです。
 靴は値段が高いから合うってわけじゃないから難しいですね。今回の靴は長時間歩いて初めて不具合が出たので参りました。
管理人
2016/02/09 18:57
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